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アイデンティティの流動性を問う—「Re:definition」が示す自己性の再考

更新日:12月15日


「Re:definition」展示パネル
「Re:definition」展示パネル

2025年11月1日から2日にかけて、東京・広尾の「muun cafe&gallery」において、パフォーマンスと展示を組み合わせたアートイベント「Re:definition」が開催された。現代社会における自己性の再定義をテーマに掲げた本企画は、2組のアーティストによる実践を通じて、固定化されたアイデンティティの概念に揺さぶりをかける試みとなった。

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muun cafe&gallery内観
muun cafe&gallery内観

会場となった『muun cafe&gallery』は、東京メトロ日比谷線広尾駅から徒歩10分ほどの場所にある8席ほどの小さなカフェだ。大使館が数多くある国際色の強い大通りから少し外れ、閑静な住宅街へと入った一角に位置する。8席程度の小規模な空間は、もともと畳工場として機能していた産業施設を、現オーナーがリノベーションしたものである。かつての壁面や看板を残しながら、井草を使用した天板や、「東京のサグラダ・ファミリア」として知られる蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)のアートワークを埋め込んだカウンターなど、歴史的痕跡と現代的要素が交差する空間構成となっている。

この場所は単なる展示会場としてではなく、編み物や似顔絵といった多様なワークショップの開催地として「東京で最もクリエイターが表現しやすい場」を標榜してきた。産業施設から文化的交流の場への転用という会場自体の履歴が、本展のコンセプトと共振している点は看過できない。


展示風景
展示風景

「Re:definition(再定義)」というタイトルが示唆するのは、現代社会におけるアイデンティティの可塑性と、それに伴う問題意識である。職業、食の嗜好、ライフスタイル——あらゆる領域において細分化されたコミュニティへの帰属が容易になった現在、個人は自ら選択したラベルによって自己を規定し、あるいは他者から規定される状況に置かれている。こうした状況において、本展が提起するのは、表層的で可視的な特徴によって構築される後付けのレッテルではなく、より根源的な「生まれながらのアイデンティティ」への眼差しである。それは、社会的に構築されたカテゴリーを一度解体し、身体性や存在論的次元から自己を捉え直す試みと言えるだろう。用途によって場を変容させながら紡がれてきた空間で、2組のアーティストとともに「私とは何か」を問う。



トラペゾイによるパフォーマンス風景
トラペゾイによるパフォーマンス風景

初日の11月1日、ダンスユニットのトラペゾイによるダンスパフォーマンスが行われた。4人のメンバーそれぞれが持つ個性と自由な表現によって生まれる不揃いなかたちを愛し「TRAPEZOID (台形)」と名付けられた彼女たちは、今回、境目のないひとつの物体、曖昧な輪郭から立ち上がる個の身体による動作を試みている。4人で1枚のゴザを被って狭い通路を進みながら、展示作品や畳工場時代の看板の輪郭をなぞる姿には、完全に1匹の生き物にはなれないそれぞれの身体が曖昧に動めく不安定な全体性を立ち上げている。ただその全体性に留まるのではなく、開かれた場所で分断し、ハイキックをしたりその場で泳いでみたり…それぞれ異なる動作をとることで個々の身体性を確立しながらも、他者の身体に対する投げかけとその応答が、不揃いながらも周期的な幾何学性を観る者に届ける。他者や場所との関わりの中で変化するそれぞれが持つ一人称の身体は、その瞬間に起こる出来事に呼応しながら、新たな自分らしさを更新し続けていた。


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瀬崎元嵩〈中西夏之「『等伯画説』そして3マイナス1」を読んで、やってみる〉
瀬崎元嵩〈中西夏之「『等伯画説』そして3マイナス1」を読んで、やってみる〉

最終日となる11月2日には、瀬崎元嵩によるレクチャーパフォーマンス〈中西夏之「『等伯画説』そして3マイナス1」を読んで、やってみる〉が行われた。現代美術家の中西夏之が問題提起した「日本の絵とは?」という問いに対して、茶の湯における茶碗の水平性と瀬崎が10年ほど続けている剣術が持つ垂直性をキーワードに紐解いていく。私たちが生きる不安定な地盤の世界で少しでも安定を図るべく、水準儀としての茶碗を手にした茶の湯文化。欧州の刀剣のようにパワーで叩っ切るのではなく、しなりを持たせた状態で重力に従属して対象を切る日本の剣術。それぞれが持つ水平と垂直の性質を水の入った花瓶や先端にペンを取り付けた木刀を用いて説明し、壁にかけられた紙に線を引いていく。行為としてのドローイングではなく、水平と垂直によってある種無意識に動く身体の作用として描かれるものこそが、中西の言及する「日本の絵」なのかもしれない。


瀬崎による展示作品
瀬崎による展示作品

瀬崎は本展の常設展示も手掛けている。「水が入った皮袋のような丸い何か」という独特な表現で人間を描いた作品たちは、まさに瀬崎自身の身体や感覚を通して人を再定義する行為の産物であった。


展示風景
展示風景

場の役割が歴史的に変化し続けてきた空間において、パフォーマンスと展示——「再定義」というテーマ設定と、場の歴史性が持つポテンシャルを考慮すれば、本展は小規模ながらも現代美術が直面する重要な問いを提示したと言える。アイデンティティ・ポリティクスが多様化する一方で、その細分化がもたらす新たな固定化や排除の問題——本展はこうした現代的課題に、身体的実践と場の記憶という具体的な方法論で応答しようとした実験的企画として位置づけられるだろう。



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瀬崎元嵩

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