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「見ること」の魔術――トニー・アウスラーが問うテクノロジーと知覚のはざま

8月25日
読了時間: 6分

更新日:9月1日

The Magic of Seeing: Tony Oursler Between Technology and Perception

画像・音・彫刻がつくる「魔術」は、現実を確かめるはずの視線を揺るがす。トニー・アウスラーの作品から、見えるものを現実とみなす私たちの知覚を考える。

Criticism by Yuki Takeishi


東京・虎ノ門ヒルズにあるTOKYO NODEで開催中の「トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~」は、映像、彫刻、音、光、言葉を組み合わせたインスタレーションを中心に、マルチメディアアートを代表する米国のアーティスト、トニー・アウスラーの初期から最新作までを紹介する大規模個展である。約50点の作品が展示され、出展作品の約半数が日本初公開となる。アウスラーが長年問い続けてきたテクノロジーと人間の知覚、さらに超常現象や神話、都市伝説といったテーマを通して、40年以上にわたる創作の軌跡を辿る。

本展では、暗闇のなかにいくつもの「眼」が浮かぶ《スペキュラー》が現れる。大小さまざまな眼球が、こちらを見ている。鑑賞者は作品を「見る」と同時に、見ているはずの自分自身もまた、無数の眼によって見つめ返されている。見る者は、いつの間にか見られる者になる。「覗き見ること」と「見られること」が循環する体験を通じて、自らの主体性を問われるのだ。


この「見ること」と「見られること」の反転は、本展のタイトルに掲げられた「魔術」というキーワードとも深く関わっている。魔術とは、単に超常現象やオカルトを意味するものではない。そこには、目に見えないものを可視化し、存在しないものを存在するかのように出現させる技術という側面がある。そう考えると、写真、映画、テレビ、コンピュータグラフィックス(CG)、そして現代のAIに至るまで、近代以降のメディア技術もまた、ある種「魔術」の延長線上にあるといえる。

人間は、なぜ「見えないもの」を見たがるのか。そして、その欲望を最も強力に満たしてきたものこそ、テクノロジーなのではないか。アウスラーが扱ってきたのは、まさにこの「見えないものをどう見せるか」という問題である。

《計り知れないもの》は、この問題を端的に示している。19世紀の視覚トリック「ペッパーズ・ゴースト」を現代的に解釈した3D映像を用いて、幽霊のように実体のない像を浮かび上がらせる。ここで問われているのは、「幽霊が本当に存在するのか」ということよりも、「私たちは、見えたものをどのように現実として受け入れているのか」という知覚の問題である。『見えること』は、信じることの根拠になりうる。しかし同時に、視覚は容易に欺かれる感覚でもある。

この逆説が、アウスラーの作品における「魔術」の核心だろう。テクノロジーは魔術を駆逐したのではなく、その機能を別のかたちで引き継いできた。写真は不在の人物を画像として残し、CGは現実には存在しない空間をつくり出す。さらに現代では、AIによって実在しない人物や風景さえ生成できるようになった。テクノロジーが高度化するほど、「見る」という行為は単純に現実を確認するためのものではなく、何を現実として認識するのかを決定する行為になりつつあるのではないか。


ここで《スペキュラー》の「眼」に戻りたい。眼は見るための器官だが、同時に「見ること」そのものを象徴する。巨大化された複数の眼が鑑賞者を見返すことで、作品は「見る側」と「見られる側」の関係を反転させる。この構造は、現代のデジタル社会における私たちの状況とも重なるだろう。スマートフォンを手にした私たちは、いつでも世界を見ることができる。写真を撮り、SNSを閲覧し、遠く離れた場所で起きている出来事をリアルタイムで知ることができる。一方で、私たち自身もまたカメラによって撮影され、位置情報や検索履歴などを通じて記録され、分析されている。つまり、世界を見るために発達したテクノロジーが、同時に人間を見るための装置にもなっているのだ。

アウスラーの「眼」は、こうした現代の状況を直接的に説明するものではない。しかし、見る主体と見られる対象が入れ替わる構造を体験させることで、現代における「見ること」の性質を考えさせる。

この問題は《カリカチュア》にも表れている。日本の「たまごっち」に着想を得たという本作は、表情を変え、ささやき声を発することで、デジタル生命体のように立ち現れる。そこに生物学的な生命があるわけではないにもかかわらず、私たちはその存在に人格を感じてしまう。人工物に「心」を感じて生命を見出してしまう、現代特有の感覚を問う作品である。今日の文脈から見れば、AIが日常的に使われる現代において、その問いは切実である。AIが人間の言葉を理解しているかのように応答し、時には感情を持っているかのように振る舞うとき、私たちはそこに「人格」や「意図」を感じることがある。人間が機械の振る舞いを自分たちの経験になぞらえ、そこに生命や人格を見出してしまう心理に目を向けることが重要なのではないか。


《キメラ》では、未確認生物や都市伝説の資料をもとに、現実と想像、科学と神話が交錯する生態系がつくられる。TOKYO NODEの天井高約15mのドーム空間を活かした大型作品である。アウスラーが長年扱ってきた「存在するものと存在しないものの境界」というテーマを、現代の映像技術によって発展させた作品といえる。


こうした作品を通して本展が示すのは、人間の想像力とテクノロジーは切り離せない関係だということだ。アウスラーがつくり出す世界は、テクノロジーによって生み出されたイメージであると同時に、見えないものを見たいという人間の欲望によって生み出されたものでもある。また興味深いのは、本展そのものが高度なテクノロジーによる没入体験として構成されていることだ。鑑賞者はテクノロジーを外から眺めるだけでなく、テクノロジーによってつくられた空間に入り、その技術によって自らの知覚を揺さぶられる。

その意味で、本展は単に「テクノロジーは人間を支配するのか」という問題を提示するのではない。人間自身がテクノロジーを使って世界を見たいと望み、その結果として自分自身もまた見られる存在になっていくという循環を示す。それは本展のタイトル「技術と霊知のはざま」からも読み取ることができる。テクノロジーは合理的で科学的なものとして理解される一方で、それによって生み出される映像や情報は、ときに現実と幻想の境界を曖昧にする。アウスラーはその境界に作品を置くことで、現代社会における「見ること」の意味を問い直す。

本展は、最新の映像技術を体験する場であると同時に、私たちが何を見たいのか、そして自分たちが何に見られているのかを考える機会でもある。テクノロジーがますます高度化し、AIによって現実には存在しないイメージまで容易に生成できる現代において、アウスラーの作品が示す「見ることへの欲望」という問題は、これまで以上に切実なものになっている。

Yuki Takeishi


◼︎Overview

トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~

会期:2026年7月3日(金)~9月27日(日)

会場:TOKYO NODE GALLERY A/B/C(虎ノ門ヒルズ ステーションタワー45F)

開催時間:10:00–19:00(金・土曜は20:00まで)

最終入館:閉館時間の30分前まで

料金(税込):一般 2,400円/大学生・専門学校生 1,400円/中学生・高校生 800円

企画:椿 玲子(TOKYO NODE)、アリス・ニェン=プー・コー(インデペンデント・キュレーター)

◼︎Credit

Text: Yuki Takeishi

Exhibition information: TOKYO NODE

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